昭和44年7月22日 朝の御理解
北村修司
今日、信心の心得と、何をさせて頂くでも、いや稽古させて頂くでも、その心得というものが必ずあるはずです。心得をまずきちっとしていきませんと稽古はできないと思うんです。心得。だんだんこの稽古事すべてが、稽古が、だんだん上達してまいりますというか、してまいりますと、だんだんいわゆるその心がけといったような、心得といったようなものが本当なものになっていくんです。
最近、豊美が、もう何年間熱心にお茶の稽古に通いますが、最近自分がお嫁に行くことを先生に話したらしいんです。それから先生も驚かれてから、もうあんたにはもう私のすべてを、その、習うてもらいたかったというわけなんですね。もちっと早く言うてもらえば、そんなら毎日でも出てきて下さいというわけなんです。それでまあ、できるだけやらせて頂いとるわけでございます。もう三年間も四年間も、いうなら御造営の前の頃からでございましたからね、それから御造営の間、一時やめておりましたけれども、(?)すみましてから熱心に通った。やっぱり自分が好きなんです。ですからもう本当にあの、その事に限ってはなかなか熱心にいたします。
昨日も夕方から、ちっと(お参り?)、必ず和服を行くんですが、お茶をさせてもうらうのにやっぱり和服が一番、それを(?)先生、みんなにはどう言われるかというと、いやもう簡単な服で何でもよかですよ、楽な姿勢でおいでってこう言われるらしいんです。けれどもその、私昨日出がけにこうきちっと足袋はいていきよるとに、また替え足袋をいっちょこうハンドバッグの中に入れていきよりますもん。あら、足袋はあちらでまたお茶をさせてもらう時には足袋を替えるというわけなんです。(ほどと?)私は思いましたですね。初めの、初めの頃にはですよ、あなたの都合のよか時においで、また一通り覚えていけば、または簡単な服でもいいですよと、先生がそういう風に教えなさる。ところがだんだん本当なものになってくればなってくるほど、そんな事じゃいけんですよ、ああですよ、これはお茶をさせて頂く者の心得ですよと言うて、その、いわばこの暑いのに足袋履いていくが、その替え足袋までまたもっていきよる。別にあなた、たいしたお家にいくわけでもなければ、ただお茶の稽古をさせてもらう、いわば心得、心がけというわけなんです。必ず行く時には、まあ身を清めるようなつもりでしょうね、お水を頂いてからまいります。
というように私は信心させて頂く者もね、この心得というようなものがだんだんだんだん本当な事になっていかなかったら、絶対信心の上達はないですよ。真の道を行く人は肉眼をおいて心眼を開けよと仰る、もうこれになってまいりますと、いよいよですね、いわばこの心得の中にはこの神徳という事がたくさん出てまいりますね。神徳を受けよ、人徳を得よとか、生きたくば神徳積みて長生きをせよとかと、そういうこの神徳をもう受けていく世界、人間が本当に幸せになる為にはです、しかもそれはあの世この世を通してです、おかげを頂く為には神徳を受けなければもう絶対にだめだと。神徳、どんなに金を山ほど積んでも、どんなに立派なお家に住んでもどんなに環境の良い中に住まわせて頂いておってもです、真実の幸せと、言うならば心の中から湧いてくる喜びの中に浸っていけれるというような幸せというのはね、神徳を受けなければ絶対に頂ける事じゃない。ですから神徳を受ける為にはこういう心がけがいるんだ。私は今日の真の道を行く人は肉眼をおいて心眼を開けとこう仰る。その心眼を開かせていただくところからです、私が何時も申しますように、いわゆる次元の違った世界というのが開けてくるのです。この人は難儀な事だ、困ったことだと言うておるけれども、次元が違ってまいりますとです、いわゆる心の眼が開けてまいりますとです、それは決して難儀な事ではないのですから、もうそこに幸せがあるでしょう。例えば腹の立つ問題でもそうです。普通なら、なるほど腹を立てるのが当たり前。
昨日、山口の(長田先生?)が、お月参りをされます。昨日参ってみえたんです。あちらでお医者さんで大変おかげを受けまして、もうあの、あそこは、何というとこですかね、ところは、うん、西市、西市といやあもうそれこそ大変な田舎、山の中ですよ。中にその、そのお医者さんがみえた時には、もういうなら体いっちょでみえたそうです。それをその、奥さんの信心でですね、まあ次々と、そういう(山の中?)の事ですからお医者さんもなかったんでしょう、それで、そのために町の有志の人達が十人ぐらい、その、何て言うですかね、応援者ができまして病院が出来る。それがもう本当に、瞬く間に大きな病院になっておかげを頂いて、そしてだいたい実家が鹿児島の方だそうですから、そこを、鹿児島の方へまあ移っていかれて、それもご真意を頂いたら(もう行け、さあ行け?)という風に教祖様からお知らせを頂いて、もういよいよ迷うておられたのを、それで一晩の内で腹を決めてあちらへ移られたとこういう。それがその、後はその、大きな病院をですね、家も敷地も金光様に奉納して行こうと、という事を言うておられたそうです。
ところがあちらへ行かれたところが、もう本当にあちらでも待っておったというようにに運が開けてまいりましてね、大きな病院、まあ(こちらへおりました?)病院にならせて頂いて、こっちはそんな風でもう大きい病院ですから借り手もなしですから、戸を打ち付けにしてですね、それでもうこの次なんかは(?)どげんなっとるじゃろうかとみんなが心配するようにしてある。それがその、そんな風に奉納するとか何とか言いよったのに、その奉納の話も全然なくなって、行かれる時分にちょっと長田先生がですね、あの事はどげんなったですかという事を言われたらしいですよ、奉納( ? )なったら。それがその気に入らじゃったというてその先生が、まあその、全然奉納せんなりに参ったわけなんですね、献納せんなりに。長田先生としては、それがいつもこう引っかかっておるところへあちらから手紙がまいりましてですね、まあ人に売ればいくらがたあるけれども、教会ならこんくらいでもいいから買うてくれといったような手紙が来たちゅうわけなんです。
んで私は、申しましたんですけれどもね、これは(先生が言われましたけれどもね?)、そういう例えば、新たな教会が繁盛すると、例えばね、教会が狭くてね、あとはあの、いうならば学校の講堂借ったっちゃよかですよ、大祭の時に人が入らんちゅうごとなりゃ。野っ原にテント張りでもいいですよ。もう現在の御広前で、もうとにかく人が一杯でどうにもできんというぐらいのおかげを頂く事の方が先である。その、あそこを献納の事やらが気にかかったような事じゃいかん。もうそげな事はね、教会にもそういう準備があるはずがないですから、もうその事はお断りしますと言うてから、断りの手紙ば出して( ? )、そげんいっぺんぶっすり断ってしまって良かろうかという風な、だから神様が本当に下さるものならね、決してその、病院も売れはしませんよ。ですからそげな事はもういっぺん棚に上げておいて、そして、例えばお宅の御広前で人がどんどん助かるという事だけを願うておいでおられて、御広前を広うしようとか大きゅうしようなんて、今考えなさらん方がいいですと。これはね、心がけなんです。金光様の先生が、どうでも教会を大きくせにゃ、立派にせんならん、という願いの元に信心をしござるところではね、よし出来ても、出来た後が悪かでしょうが。
先日もある教会に参りました人が、まあここの(雛形?)のような御広前が出来たんです。ここに見にみえました。けれども大祭っちいったところが、誰もお参りしとらん。もう大祭が始まる半ばにまあぼちぼち十人くらいみえたというような、その、事らしい。だいたいいうならそういうご普請でもできるくらいじゃから、相当信者の数もあるだろうし、ところがそのご普請をさかいに信者が減ってしもうた。問題は、御広前を建立するといったような事が神様の願いじゃないですもんね、本当の願いは。そうでしょう。人が助かるという事、その次に、助かりの場というものが願われるのであって、その、御広前を建立するのが私の一生の願いだなんていうような先生のところでは、私は本当のごひれいはたたんと思う。だから、御取次の先生たるもの、そういう心がけがなからなければいけない。
心がけ。だからもうその心がけを間違えますとですね、もういよいよずっと一生間違うてまいりますからね。例えばなら、私もそういう先生をいくらも知っておりますが、私が生きておる間にどうでんこうでん御神前だけはヒノキの香りのプンプンするような、その、ご神前を造って、神様に喜んでもらわんならん、これがいわば願いであり、そのためには様々な修行をなさるわけでしょうけれどもね、もしそれがおかげになっても、初めから心がけが違う、取次者の。だから初めはそうであっても、だんだん本当な事が分かって、例えば長田先生の場合でもそうです。昨日をさかいにその事に対する心がけを変えていかれるところからおかげが受けられる。ですから、絶対の本当のところへ願いを持って、それに対する心がけをしていかなければいけません。
これは、別に自分で心がけて思うておったわけではないですけれども、これだけは心がけて、心にかけておったんでしょうね。私は昔から、これはまあ北京時代でもそうでしたけれども、必ずどんな場合でも天津祝詞と大払だけは御神前で奏上しなければ休まないという、そういう心がけを持っておりました。もうどんなにもう、以前は随分飲んでおりましたからね、もう酔っ払ってもうぐでんぐでんになって、もう何にも分からんごとなって、友達に抱え込んでこられるような時であってもですね、北京にちょうど家内の母が来ておる時分でしたが、もううちの父ちゃんだけはもうこれだけは感心っちから言いよりました。そげんでもやっぱり手を口をゆすいで、手を洗わせて、さあお母さんの前に座らせてくれちいうごたる風に座ってから、そのままちゃんと大払あげながら朝まで眠っとるちいうような事がありよりました。もうこれは心がけだった、今考えると。そしてその心がけは今に思うのに間違いのない心がけであったとこう思うのです。そういうような信心からですね、私が、これは私が言い出した事です、信心の節度といったような事を皆さんにも聞いてもらう事になったわけなんです。信心の節度を持つ、だから、初めからこんなに難しい事をという事じゃないのですよ。ただ、その事だけがきちっと出来てきた。心がけが。
私が御商売をさせて、自転車で昔は配達に回りますね。もう必ず出がけには口と手をゆすいで出たことです。お神様にお参りとじゃないですよ。それは私の心の中に感じておったことは、どこで神様に御祈念せんならんような事じゃ分からんと、こう気持ちがあったんです。ですからもう必ずもうどこへ行く時でも行きがけには手と口をゆすいで自転車に乗りました。これも私は信心させて頂く者の心がけとして、間違ってはなかったなと、私はもうとにかく、ろくそうなかもんのお徳は受けきらんと、私が言うのはそういうところからだんだん出てきたんじゃないかとこう思うのです。
もうどんなに修行のいよいよ激しい時であっても、教会に五へん参っても六ぺん参っても、必ず御初穂のない時にはお賽銭だけでも絶対お供えした事です。これは私の昔からの心がけです。これも今から考えて見ますと間違ってなかった心がけだったとこう思います。それこそ、庭のちりまでもとこう仰るです。もうよかよかちゅう事はなかです。ない時には、私は一番、まあいわゆる庭のちりまでもいうようにさせて頂いたことは、福岡におる時分に、私がお話に参りましたところですね、私はいつもどこまででも歩いてまいりますから、電車の切符をですね、一冊お供えして下さった。けれどもこちらは歩くとが修行と思うとりますから、歩かせていただきます。それでもういよいよお賽銭がない時には切符を一枚ずつ切っては、それがお賽銭でした。タダで参った事は一ぺんもありませんでした、まあいうならば。
これはもうこちらへ帰りましてから、いよいよ修行たけなわという時分、たけなわというか、まだ商売をさせて頂いておりました頃でしたから、櫛原教会に、ちょっと忘れましたが、五へんも六ぺんもお参りしなければならんような、商売の事でですね、久留米市内に商いをしてまわって、それが成就しない度に何べんも何べんもお参りするわけです。とうとう御初穂もなくなった、お賽銭もなくなった。それで、昔は何か買いますと証紙というものを頂いた。切手のようなものをもらいよった。一番最後にはその証紙だった。そして、その時に私が証紙のお供えをさせて頂きますと、相済みません、こんな事ではすいませんというてその、お賽銭箱に証紙を入れた時に初めてお知らせを頂いたのが、初めてっていうか、その時に頂いたお知らせがです、★百円のお賽銭ができるようになってもこの気持ち忘れるなと頂きました、心がけに。だから、こういう事も間違いじゃなったという。お供えが出来るとか出来ないとか、もう本当にこんなことでは相済まんと思うその心でです、当時まだ百円だったところはありませんでしたよね。けれども、百円がお賽銭箱の中に入れられるようになってもです、この気持ちを忘れるな、心がけを教えてもろうたです。
私はですね、そういう心がけといったようなものが、しかもそれはもう間違いのない心がけというようなものが、なら、師匠の心がけといったようなものは皆さんも一応はその通りの心がけを一つ学んで頂かなければいけんと思うです。そこんところをね、いい加減にして、師匠の良いものだけが頂けるはずはありませんよ。( ? )だけれども。そこんところを私は、いわゆる心がけというものを身に付けて頂きたい。初めの間はです、お賽銭でん何でん、無かならいりませんよ、( ? )ならいいですよと、今はだんだん少し崩れてきたようでありますけれども、この夏の暑い( ? )みんな、昔の人達は洋服着てくるでしょう。背広をきちんとこの、着てくるでしょう。これはもう合楽だけでしょう、おそらく。けれどもです、これは信心をさせて頂く者の心がけなんです。私は夏も冬もでしたけれども、一つの洋服を着たきりでした。ある夏の時に、どうしたはずみでしたかね、この洋服の、御祈念させてもらおうと思ったら、御祈念させてもらうときに、御心眼に羽織の紐がちぎれとるところを頂きますもん。洋服でしたけれども。それでちょっと見たところが何と、ボタンが外れているわけです。神様はこのように厳しかった、これは信心をさせて頂く者の心がけなんです。お前が洋服のボタンもつめずに御祈念をしておるということは、和服であるならば羽織の紐がちぎれとるものだという事。はあもう、暑かけん開襟シャツでよか、もうほんなことなら裸でんよかばってん、そんな風にいかんけんでと、こういう、何度もいいますけれども、だんだん信心が分かってきたら、それはもう心がけとしてそうしなければ本当の信心の、いわゆるお茶の精神といったようなものがです、やはり和服が一番良い、しかも夏でも足袋履いておいでなさい、したら、例えば道中ここから車で行くとじゃけん対して汚れてもおるまいけれども、新たに足袋を変えなさいという風に師匠が教えられるようにです、そうした方がなるほどお茶の精神も体する事ができる、分かるわけなんです。そこに、楽しみというかね、お茶をさせてもらう楽しみがまた生まれてくるであろうように、信心もやはりそれなんです。心がけ。それがだんだんだんだん雑になってくるといったような事ではね、いよいよいけないと思うんですよ。その心がけというものは、もういよいよ、いうならば窮屈になっていくのが本当じゃないかとこう思います。しかも窮屈な中に窮屈を感じん、かえってその中に喜びが分かってくるという様なおかげですよね。
真の道を行く人は肉眼をおいて心眼を開け。こういういわば信心の最高の境地を目指させてもらう。ここには信心の心得とありますが、そのためにはです、私はこの肉眼をおいて心眼を開かなければ、本当に信心をさせて頂いて次元の違った、私はその、世界に住まなければです、人間の幸せはありえない。御徳を受けなければ、それこそ行ってみたことはないけれども、あの世でも、教祖様が仰るように、持っていけるのは御神徳がもっていけれる、徳はあの世にでも持っていけると仰るから、私はそれをそう信ずる。
心がけ。そこで私はですね、今日思わせて頂きます、ぎりぎりのいうならば心がけといったようなものですかね。これは私はどうでも、立教神伝です。いうならばこの中からです、私共の信心の程度程度で、この中に現れておる神様の願い、または、それに対して教祖の神様がとられた態度、やはり、師匠のしておる事を、弟子達がやはり一通りマスターしなければならないようにです、やはりその教会の先生の信心を頂く為には、その教会の先生の信心を頂かなければならないようにです、ここで信心の稽古をする人は、いわば真似でも私の真似をしなければいけないようにです、私共金光教の信者である限りです、教祖様のたどられた道といったようなものを、私共雛形にでもたどらせていただこうという意欲と心がけが必要なのです。先生じゃけん、教祖様じゃけん、そげな、まあ実際はできますまい。けれどもその、いうなら真似事でもできなきゃならん、また、そういう精神をです、持っとかなきゃならない。
天理教の御信者さん方は天理教の教祖がたどられたような道をやはり一通り通られる。日蓮宗は日蓮上人が通られた、あの激しい信心を、やはりその、あとを継ぐ者全部そういう流儀を持っていたしてまいりますのを心がけとしておるように、金光教の信者はやはり金光教祖のたどられた道、そのあられ方、または心がけとされたといったような事はです、私共の上にしていかなければならんのは、これはもう理の当然である。そこで私共はこの立教神伝を頂いて、その立教神伝の中からです、雛形にでもそうならせて頂かせていただこうとする願いを持つ事が一番これは間違いの無い心がけじゃなかろうかとこう思うのです。
私が、私のいわば信心の若い時の例えば心がけを今聞いていただいたんですね。信心に節度を持てと。こうと決めたらこうと、例えば、昨日、一昨日ですね、西久留米で幹部研修会がございました。秋永先生が一時の御祈念に出てきちゃるです。本当に私は思うた。私の流儀を先生がやってのけておられるんだとこう思うた。はあもう今日は先生が、しかも教会の御用で研修会に行っとるとじゃから、今日はもう神様も知ってござるから、というような事じゃなくて、やはり、一時間の昼食じゃったそうですから、昼食せずにこっちさにやってきた。そして今度は三十分間の御祈念頂いて、私も秋永先生という時にはもう表へ出かけておられた。もうすぐ研修会に行かれるんです。これはいうなら師匠の生き方というものをもう地にいっておられるんだと私は思いました。
私共はどこへ参りましても、例えば北野の久富先生が共励会なんかにおいでられる。北野に行かれる時には遅うまわって帰ってみえるのですから、自分方の前通って帰ってきなさるとじゃけん、もう先生、入って下さらんでいいですよ、もうしるしかっちゃけん、今日は雨降るから、寒いから、と言いたいのはここまで思うんです。けれども、これが先生の生き方だ、流儀だ、先生はそうしてきてこられた事を久富先生も知ってあるですから、それを行じようとなさるから、私はここまで、もう今日はもう帰ってきなさらんでいいですよと言いたい所を言わんのです。これは心がけなんですから。もう私はここでご無礼しますなんてん私だんいっぺんでん言うた事なかです。そこにですね、例えば(開き?)ができてくるのですよ。そこから、信心の(開き?)というものが。心が。そして私は思わせて頂くのはです、教祖が心がけをされた事、それが一つ一つ自分のものになっていく、信心の心得、心がけというものが。これはもう当然、金光教の信心するからには金光教祖のたどられた信心、またはその心がけというものを、それを(通し?)をする、それを踏み行うていくという事は、もう絶対に間違いのない私は心がけだとこう思うのです。その事を一生懸命努めます。
そして、立教神伝の御内容というものをです、もういっぺん頂き直して、その御内容の中からです、いわゆる御信心の態度、というものをです、ここに見ることができ、そういう真似からでもできなければならないなという事をです、私は今日は感じました。最後に立教神伝を読ませていただきます。皆さんもまたここんところを頂かれて、その中から自分たちの信心の心がけというのが、どの程度に頂かれておるかという事を再検討してみるべきではないだろうかとこう思うのです。
「この幣切り境に肥灰さしとめるから、その分に承知してくれ。外家業はいたし、農業へ出、人が願い出、呼びに来、もどり。願いがすみ、また農へ出、またも呼びに来。農業する間もなし、来た人も待ち、両方のさしつかえに相成り。なんと家業やめてくれんか。其方四十二歳の年には、病気で医師も手を放し、心配いたし、神仏願い、おかげで全快いたし。その時死んだと思うて欲を放して、天地金乃神を助けてくれ。家内も後家になったと思うてくれ。後家よりまし、もの言われ相談もなり。子供連れてぼとぼと農業しおってくれ。此方のように実意丁寧神信心いたしおる氏子が、世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ。神も助かり、氏子も立ち行き。氏子あっての神、神あっての氏子、末々繁盛いたし、親にかかり子にかかり、あいよかけよで立ち行き。」
あいよかけよで立ち行くという、例えばおかげですね。この中からもう本当に私は、教祖の本当の信心の心得、心がけ、心意気というものをです、この立教神伝に感ずる、これをそのまま受けられたというところ、ところを私はもうぎりぎりのお道の信心をさせて頂く者の心得、心がけ、これはお道では立教神伝というて、まあ普通では月次祭たんびによその教会ではこれを読まれます。どこを大事にしておられるかというと、もちろんその御精神が大事だという風に頂きますけれども、今日は私この中からです、金光様の信奉者のすべてがです、これをもって心がけとする私は信心というものがですね、大事じゃなかろうかと思う。雛形にでもここんところができなければならない。例えば皆さんが御用をなさるでも、今日は忙しゅうございますけんといったような事じゃなくてです、ハイと承れる精神といったようなものがですね、この中には十分でてくるわけなんですよ。だから繰り返し繰り返し読ませて頂くところからです、金光教の信心の心得、(先?)の方に信心の心得とたくさんこう書いてございますけれどもです、その一番、私は根本になるものは立教神伝だとこう思います。今日は私はそれを、そう思います。ですからそのところを私共は心得、心がけとしていくところからです、次の何十か条かあります心得、心がけというのは、もう内容としてですね、だんだんここんところが分かればできると私は思うのです。同時にまたここでは私が心がけとしておる心がけを、これは言わんでも、こうして皆さん聞きなさらんでもです、私の信心態度というものをです、見ておって下さってです、はああれが先生の信心の心がけじゃなというところは、やはり皆さんのものにしていって頂かなければならんという風に思います。
どうぞ。